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私たちのいる空間とは別の空間のお話し。

ごきげんよう。

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今日はですね、

「空間」のお話しをしてみようと思います。

昨今では

「おしゃれなデザインで空間を演出☆」

とかそういうフレーズをよく耳にするわよね。

まぁ、

内容に全然関係ないんだけどね。

私たちは生きる上で

この同じ空間を共有しているってことよ。

という前置きをしておいて、

先日、ある20代の男性から聞いた体験談をご紹介します。

「Aさん」としておきましょう。

高校生の頃、運動部に通っていたAさんは

帰りが遅くなる事がしょっちゅうでした。

その日も部活が長引き

帰りが遅くなりました。

とはいっても18時すぎの帰宅です。

でも季節が冬向きだったので

辺りはもう暗がりです。

自転車で通学していたAさんは

同じく自転車に乗った友達と

2人でチャリを並走して帰りました。

友達が前を走り、

Aさんが少し後ろをついて行く感じです。

通学で使う慣れた道を行くと、

街燈が10メートル置きくらいに並ぶ

静かな道に差し掛かりました。

すると先の方の街燈の下に

中年くらいの作業服を着たオジサンが

体育座りをして、

うつむいていたそうです。

「気持ち悪いなぁ」

と思いつつも自転車をこぎ、

うつむいているオジサンの横を

通り過ぎる

その瞬間

バッ!

オッサンは顔を上げてAさんに視線を送ってきたそうです。

恐。

同じく「恐!」と思ったAさんは

ガーッと自転車のスピードを上げました。

少し離れてから友達に

「なぁ、今のヤバかったよな。

オッサン、街燈の所にいただろ?すげー見てきたんだよ。」

というと友達は

「は?何言ってんの?この道、街燈なんか無いよ。

と言われ、

Aさんがハッとして後ろを振り向くと

オッサンどころか

立ち並んでいた街燈もすべて消えていました。

もともと街燈のない道だったのですが、

何故かその時は

部活で疲れていたせいもあるのか

Aさんは気づかなかったそうです。

それ以降は恐くて

卒業するまでその道は使わなかった

言っていました。

この話を聞いて

次の話しを思い出しました。

兵庫県に住んでいた

祖母と叔母が20年近く前に体験したお話しです。

当時、叔母が弟のために念を込め、

和紙に墨で「般若心経」というものを書き、

出石川(いずしがわ)にそれを流しに行くという

儀式をした時の事です。

明け方、車で豊岡市街を抜け、

出石方面に向かうのですが、

そちらの方面へ行くには

「丸山大橋」という橋を渡らねばなりません。

今はどうなってるか分かりませんが、

車道2車線+歩道のある、しっかりした橋です。

丸山大橋を渡り

丸山川沿いをのぼっていき、

出石川で「般若心経」を流しました。

そしてまた家へ戻るために

車で丸山川を走っていた時です。

明け方なので対向車などもなく

叔母が運転し、祖母が助手席に乗っている

その車だけが走っている状態でした。

丸山川沿いを走っていると

突然、

行きの時にはなかった

通行止めの看板が目の前に立ちはだかりました。

叔母は

「あれ?丸山大橋にはまだ早い気がするけど・・・」

と思いつつも、

左側にある丸山大橋に向かって左折しようとしました。

すると

目の前には

およそ2車線+歩道のコンクリートで造られた立派な現代の橋とは思えない

木と土で造られた

古い茶色い土橋がかかっていたのです。

さらに土橋だけでなく

その周りを包む空間もすべてが

セピア色をしていたそうです。

明治か大正のような雰囲気で、

今にも荷物を引いた馬が渡ってきそうな雰囲気の

土橋なのです。

叔母と祖母は顔を見合わせました。

この時ふたりは言葉を発しませんでした。

「般若心経」を流す儀式の際は

家に帰るまで

言葉を発してはならないからです。

でも二人の心は一緒でした。

「この橋を渡ってはいけない」

そう判断した叔母はハンドルを切りかえ、

右側の道へ行き、土手を降りました。

色のある、

我々の世界の道です。

土手をくだりましたが、

しかし豊岡市街地へ行くには

どうしても丸山川を渡る必要があるので

Uターンしてもう一度そこを通りましたが、

土橋も、通行止めの看板も

もうなくなっていました。

家に帰ってから

祖母と叔母は

「あれ見たよね?」「なんだったのだろうね・・・」

と確認し合ったそうです。

後日、

叔母が何気なくテレビでやっていた映画を見ていたら

(なんという映画かは忘れましたが;)

片岡鶴太郎さんが主演?の映画らしいのですが

つるちゃん演じる男性が

霊の世界とこちらの世界を行き来する

というような内容なのですが

その映画で描かれている霊の世界はセピア色で表現されていたそうです。

それを見た叔母は

「セピア色の世界を見た人はきっと他にもいるんだな、

あの時、橋を渡らなくてよかった。。。」

と、改めてそう思ったのだそうです。

Aさんが見た「街燈のある道」

叔母と祖母が見た「セピア色の空間にある土橋」

この二つをぼんやりと考えると

やはり、

この、今、私たちが共有している世界とは並行して、

さまざまな世界が存在しているのではないかと

私は思います。

それはAさんが見たような

「私たちのいる空間とそっくりだけど何か違う世界」であったり

祖母と叔母の見た

「霊界の世界」

これは予想だけど

「時間を超えた土地の記憶の世界」であったり

色々な空間があるのではないかと思うのです。

ふとしたスイッチが入ることで

そうした世界を見てしまうことがあるのではないでしょうか。

「幽霊を見る」

などとはまた少し違う

「違う空間を見る」

って感じのものが。

大昔からある「神隠し」と呼ばれるものは

もちろん事故といった悲しい偶然や、

拉致・誘拐

といった人為的なものがほとんどでしょうが、

本当に忽然と

そうした空間に行ってしまった場合もあるのかもしれません。

そしてスイッチの入りやすい

歪みやすい場所もあるのではないかしらとも思うのよ。

もしかしたら、

祖母と叔母が勢いで土橋を渡ったら

私たちの空間には無いものなので

丸山川に落ちていたかもしれない。

そこは事故が多い所かもしれない。

あるいは

忽然と消え、セピア色の世界をさまよう事になったかもしれない。

そうした事を科学的な言葉でどうしても追求したい類の人たちは

「四次元」と表現して

時空間を物理学的にどうこうと

難しい言葉で説明づけようとしているのでしょう。

がんばってほしいわ。

結論も何もないお話しだけれど

「霊界」「セピア色の世界」は

「私たちが共有している空間以外の世界だ」

というように完全に断絶しなくても

実際私は目に見えないチカラに支えられて

鑑定をすることができているし

私だけでなく誰しもが

守護霊さんに守られているのですから、

「色んな世界、

あって当たり前だよなぁ」

って思うのは

私、おかしいのかしらね☆オホホ

長々と呼んでくれてありがとう○

あい🍀

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